よい感情で導く

 

人を動かすときに、押さえておくべきポイントです。
それは、人は感情の生き物で、よい感情を感じる方に向かい、嫌な感情を感じる方からは逃げようとする、ということです。
 
これをシンプルに、快楽を求め、苦痛を避ける、という言い方をしますね。
 
たとえば、夫婦関係であれば、旦那さんに食器洗いを分担してもらいたいとしますね。このときに、動機付けの方法としては、ご褒美(よい感情)による動機付けと、罰(嫌な感情)による動機付けと二種類あり得ます。
 
罰による動機付けというのは、こんな感じです。
「食器の片付けしてよ。」
「え?。めんどくさいなぁ・・・(でも動かない)」
 
「あなただって食べた食器なんだよ(不機嫌)」
「そんなこと分かってるよ。(と言いながら動かない)」
 
「食器洗いぐらいやってくれないわけ!(かなり不機嫌)」
「・・・わかったよ。やるよ(しぶしぶ)」
 
 
ご褒美による動機付けというのは、こんな感じです。
「今日は疲れてるの。食器の片付けしてくれると助かるなぁ。」
「あ、そうなの。でもめんどくさいなぁ・・・(動かない)」
 
少し時間をおいて
「今日は疲れてるの。食器の片付けしてくれると助かるなぁ。」
「あ、そうか。ごめんごめん・・・(動かない)」
 
少し時間をおいて
「今日は疲れてるの。食器の片付けしてくれると助かるなぁ。」
(毎回、初めて言うような調子で伝えるのがポイント)
「あ、そうか。ごめんごめん・・・(食器を洗い始める)」
 
「ありがとね?。ホント助かった?♪」
 
 
罰による動機付けと、ご褒美による動機付け。
頭では分かっても、実際やってみると、結構難しいことが分かります。一番の難所は、「罰によって動かす誘惑に打ち勝つ」ところです。忍耐力が必要なのです。
 
なぜなら、人間はもともと、よい感情を感じたいという動機と、嫌な感情から逃げたいという動機を比べた場合、嫌な感情から逃げたい方が強いからです。
 
だから、罰によってコントロールした方が即効性があります。
でも、それが日常化すると、ふたつの大きなデメリットが生まれてきます。
 
ひとつ目は、怒られるのが嫌だからやる、という姿勢になることです。
もしも旦那さんが、ご褒美による動機付けの結果、家の中をきちんと片付けるのが気持ちいいという感覚になったとすれば、奥さんが出かけているときも、そこそこきれいにしているはずです。食器を片付けるのも、ある程度自発的にやるようになります。
ところが、罰による動機付けの場合、基本的に見張られていないとやらないようになります。ちょうど、パトカーが近くにいるときだけ、制限速度を守る車のように。
 
 
もうひとつの大きな問題は、夫婦の心の溝ができることです。
罰によってコントロールすると、その場は素早く相手を動かすことができますが、同時に、相手の中に、あなたに対する「嫌な感情」が蓄積していきます。これが徐々に積み重なっていって、近づきたくない、なんとなく避けたい気分になっていきます。
すると、次第に罰によるコントロールも利きにくくなるし、ますます不機嫌さを増して(場合によっては叱りつけたりケンカをして)相手を動かさなければならなくなります。
始終怒っている人に対して人間は、「怒られたくない」と思うと同時に「近寄りたくない」とも思うものですから。
 
 
とは言え、相手に嫌われるから自分ばかり我慢するという姿勢は、長い目で見ると、今度は自分の心の中に怒りやわだかまりを蓄積させていくことになります。次第に恨みがましくなり、相手に対する愛情を感じられなくなっていく危険性があります。
 
ですのでやはり、こちらの要求を伝えて、相手を動かすことは大事なことなのです。
但しそのやり方は、できるだけ、よい感情で導くように心がけることです。
忍耐強く、よい感情で導くように心がけた結果得られる成果は、罰で導いたときの結果と比べて、大きな喜びと幸せを感じられるものになると思います。
 
ぜひ、忍耐力をもって、とり組んでみてください。