信じる=思考停止、のことがあるのでご注意を。

 

信じていたのに裏切られた!
こんなはずじゃなかった!
 
具体的なシチュエーションは色々でしょう。
夫の浮気、彼が仕事を急に辞めた、彼がお金を使い込んだ、借金が発覚。などなど…
 
「信じていたのに!」
そう言いたくなるシチュエーションは、確かにあります。
 
 
しかし。
 
 
信じるということが、何か崇高なことだという思い込みを持っている人もいるようですが、大事なポイントは一つだけ。
 
自分の責任で、決めたことなのかどうか。
 
もしも「あなたのせいで、こんなことに!」という気持ちばかり強いのだとしたら、
その「信じる」は、
 
・自分で決めるのをやめて、相手任せにする。
・本当は不本意だけど、捨てられるのが怖いから相手に合わせる。
・何が正しいのか分からないので、とりあえず従ってみる。
 
こんな風に、自分の中に基準や軸がなくて、思考停止し、相手任せにしたことを「信じる」と勘違いしていることがあります。でも、何かことが起こったときに「裏切られた」と言うなら、それは自分の決断に責任を持っていなかったということです。
 
これは、相手が間違いを犯してもただ受け入れ、全部水に流すという意味ではありません。たとえ相手が間違った方向に進んだとしても、言いにくいこともちゃんと言って、問題と向き合い、二人で解決していく覚悟を持っているかどうか。それが大事なことです。
 
失敗しても、この人とだったら二人で反省し、やり直せる、そう信じられるかどうか。
 
 
そう信じるためには、相手が「自分の中に軸を持っている段階まで成長している」ことを見抜ける必要があります。なぜなら、自分の中に軸を持っていない、他人の顔色をうかがっているだけの段階(中期の自我)の人は、そういったトラブルを起こしがちだからです。
 
そして、相手の成長の段階を見抜けるためには、自分がその段階まで成長している必要があります。
 
 
そう考えると、相手を信じる力の強さは、自分の精神的な成長の段階と深く関係していることが分かります。しっかり自分の精神的成長を進め、相手を本当の意味で信じることが出来るよう、努力していきましょう。