優しい人を選んだつもりが弱い人だった!とならないために。

 

男性に「優しさ」を求めるのは、いつの時代でも、基本ではあります。
 
しかしその優しさは、家庭を持ったときには、一家を呑み込もうとする社会や世間の荒波から、家族を守ろうという「強さ」「賢さ」に裏打ちされた、実力の伴った優しさである必要があります。
 
単に、目の前の人の感情に敏感というレベルの、「顔色伺いが上手」な男性を「優しい」と勘違いしてしまうと、交際が長くなるにつれ、あるいは結婚してから「頼りない彼にがっかり」という結果になりかねません。
 
このコラムは、女性が自分の行動をどう律するべきか、という視点から書いています。このコラムを彼に見せたからと言って彼が変わってくれるわけでもないので、ご注意下さい。
 
 
さて、では、どうしてそういうことになってしまうのでしょうか?
 
私が思うに、次の3つの要素があります。
(1)隠れ男性恐怖
(2)父親の「強さ」を知らない
(3)社会に対峙する必要性の認識の甘さ
 
順に行きたいと思います。
 

(1)隠れ男性恐怖

 
これは、精神科で「男性恐怖ですね」と言われるほどではないにしても、男性に対する恐怖心を持っている、というパターンです。職場で接する場合は何とか大丈夫なことも多いですが、恋愛となるとかなり距離が近くなりますので、怒る男性に対して、過剰に怖れを持ってしまい、避けてしまうという反応をしてしまうわけです。
 
家族のために怒ることができる男性、家族のためにここ一番で踏みとどまって闘える男性を選ぶよりも、とにかく怒らない感じがする男性を選んでしまう、というのが、このパターンです。
 
DV(ドメスティック・バイオレンス)を行ってしまう男性と、怒ることのできる男性の違いですが、それは、強いものには従う、という傾向の強さで分かります。DVは強いものに従い、弱いものをいじめる傾向のある男性が行うものです。
 
もちろん、社会は多くの人で構成されていますから、無謀な行動に出て、ドンキホーテになってしまうべきではありませんし、闘う場合には、用意周到に、むしろ敵をこちらに巻き込んで味方にするぐらいのしたたかさも時には必要でしょう。
 
ですから、常に上にたてつく下克上的な男がいい男だ、なんて短絡的なことを言うつもりはありません。しかし、問題は問題としてきちんと認識して、怒りも表現することができる男性。そしてその怒りに振り回されるのではなく、行動は冷静に、効果的に行うという男性を求める、というのが大事なことでしょう。
 
そんな人いないよ?なんて思う女性の方もいらっしゃると思います。若いうちからそこまでできる男性はなかなかいません。彼が正義のために闘っているときこそプラスのリアクションをしましょう。そうやって育てていくのです。逆に、彼女が恐がりで、彼に対立を避けるように、できるだけ事なかれ主義で振る舞うように要求し続けたら、彼はきっと、闘えないつまらない男になってしまいます。
 
闘える男性かどうか、それはもちろん、彼自身の問題ではあります。でも、上に書いたような部分で、女性側の見識も問われる話なのです。
 
 

(2)父親の「強さ」を知らない

 
最近思うのは、家族のために防波堤になって闘える強い父親が少なくなったのではないか、ということです。正しいこと・正しくないことに対して厳しさを持っている心の働きをCP(シーピーと読みます。支配的な親の要素です)というのですが、このCPの説明として最近私が使うのが、
 
間違ったことには厳しい、肝っ玉母ちゃん
 
です。昔はよくCPは「父親的な厳しさ」なんて表現されていたのですが、最近では、以下のような父親がずいぶん増えたように感じています。
 
×正義・不正に関しての厳しさがたりない(CP的な関わりが足りない)。
×キレたり不機嫌になることはあるが、自分都合(ネガティブなFC:エフシーと読む。自由な子供)である。
×子供が「好き」ではあるが友達感覚(FC)。親としてしつける気がない。
 
あるいは、仕事で忙しくて家にいないというパターンもあります。
 
いずれにしても、親として、子供と本気で関わる、という姿勢が足りないんですね。
 
そのような父親不在の家庭で育った場合、強くて軸のしっかりした父親像を知らない可能性があります。あるいは、ここでも女性の見識の話になるのですが、母親が、父親のこうした男性的な面を肯定的に認めていることが教育上大切です。
 
自分が寂しい、自分のことをかまってくれない、優しさがない、みたいな、自分の側の承認欲求ばかり表に出して愚痴を言い、夫の強さや軸のしっかりしたところを認める発言がなかったりすると、娘は男性に「強さ」や「軸」を求めることを許可できなくなってしまう懸念があります(もちろん娘自身が途中で気づいて母親とは違う考え方を身につけ、父親を再評価する可能性もあります)。
 
このような環境で育った結果、男性に「強さ」を求めていいのだということを知らずに大人になり、その結果、闘えない弱い男性を選んでしまうことは、十分あり得ると思うのです。
 
なお、再度書いておきますが、DV(ドメスティック・バイオレンス)を行ってしまう男性と、闘うことのできる男性の違いですが、それは、強いものには従う、という傾向の強さで分かります。DVは強いものに従い、弱いものをいじめる傾向のある男性が行うものです。
 
身近に、軸のしっかりした、家族のために防波堤になれる、闘える「強い」父親を見ていたなら、DV男と、闘える男性の違いなど、直感的にすぐ分かるはずなのです。
 
 

(3)社会に対峙する必要性の認識の甘さ

 
みっつめは、交流分析で「問題の大きさのディスカウント」と呼ばれるものです。
結婚することは、夫婦やその後に生まれてくる子供も含めた家族として、社会に対峙し、家庭の中を守っていくという活動をする、ということなのです。
 
理不尽に残業を要求する上司、無理なことを言うお客さん、リストラ、病気、近所づきあい、困った親戚、などなど、家族に対して脅威になり得るコトや人は、たくさんあります。
 
ですから、社会に対峙していくということに対して、一定の問題意識を持っていることが大事なのです。
 
たとえば、収入を得るということに対しても、職場で追い詰められないために、自分だけしかできないような、価値の高いスキルを本気で磨こう、など、やはり身を守るために危機意識、問題意識を持って取り組むことは大事なのです。
 
社会に対峙する認識が甘く、自分自身でも十分に対策していなくて、パートナーを選ぶときも、恋愛感情を抱けたかどうかだけで選んでしまった、となれば、あとで「弱い人を選んでしまって後悔した」という結果を招きかねないわけです。
 
 

まとめ。伝えたいこと。

 
何ごとも、偏っていると、問題が生じる、ということ。
 
社会に対峙するという側面だけを重視して、闘うことはできるけれど、闘いをやめることが極端に苦手な男性と結婚してしまえば、きっと寂しい結婚生活になってしまうと思います。
 
だから、極端に、闘える人を選ぼう!!!!と考えることを勧めているわけではありません。
 
しかし、逆に、私のように男性の目線から見ると、極端に「闘えない人を選ぶ」傾向の女性がいるなぁ、とも感じるのです。本人は気づいていないかもしれませんが、男性目線から見ると明らかに「闘えない男」を選んでいて、男性を選ぶ目に偏りがあるように感じるわけです。
 
もしあなたが、未婚なのであれば、自分が何となく選んできた男性のタイプに、偏りがなかったかどうか考えてみてほしいと思います。
 
もしあなたが、既に安定したパートナーを持っていたり、結婚しているのであれば、この記事を読んだからといって今更別れる選択はしないかもしれません。でも、その相手のどういう部分と積極的に付き合うか(どういう行動に承認・賞賛を与えるか)によって、相手を徐々にではあるけれど導くこともできるわけです。
 
そのような意味で、自分の中の評価基準を見直してみることは、良いことだと思います。
 
 
 
あなたが、強さと賢さに裏打ちされた、本物の優しさを持った男性の卵と巡り会えますように。
そして、その強さを持った男性の卵を、うまく育てられますように。