私が「科学的でない」スピリチュアルの主張と距離を置く理由

 

あづまです。
 
初めにお断りしておきますが、私は、精神的なもの、スピリチュアルなもの全てが怪しいといっているのではありませんし、大事な部分もある、と考えています。
 
私が嫌いなのは、科学らしき体裁を整えて、一般の人を騙すことには成功するが、専門家から見るとウソ丸見え、というものです。
 
まあ、ズバッと言ってしまうと、エセ科学が嫌い、ってことです。
 
 
科学的に証明不可能な世界ですよ、とか、
あくまで、形而上学上のものですよ、という話を、
 
正直に書くのであれば、誠意があると言えますが、科学っぽく装って、一般の人をだますというその姿勢に、腹が立つわけです。
 
脈々と受け継がれ、議論を繰り返して作り上げてきたのが今の科学の世界。
量子力学なんて、さんざん批判されて、大議論が巻き起こり、それでも生き残って今の理論がある。
 
こうした、先人の努力に、全く敬意を払わないのが、エセ科学的スピリチュアルの世界。
科学っぽいふりをして一般人をだまそうという魂胆に、腹が立つわけです。
 
 
また、エセ科学を信じてしまうと、情報の発信者としては、あとで恥をかくことになります。
 
たとえば、一時期流行った、「ありがとう」と言うと水の結晶がキレイになるって、あれですが…
現在Wikipediaを見ると、批判的な記述が優勢になっています。
参考:水からの伝言(Wikipedia)
 
また、この件について、個人で意見を書かれている大学の先生のサイトもあります。
「水からの伝言」を信じないでください
 
 
私は、たとえ「ありがとう」という言葉の大切さを教えるという目的があったとしても、こういう「科学的に明らかにウソであることを教える」ことは、利よりも害の方が大きいと考えています。
 
Wikipediaの関連リンクの「批判サイト」の中の、阪大の方の主張など、こういうことを道徳教育に使うことへの強い懸念と批判が表明されています。
 
 
この言説が流行って、知人のカウンセラーさんたちも、引用するに至って、当時私は内心、
 
「あ?あ。そんなエセ科学引用しちゃって…がっかりな話だ。」
 
と思っていたわけですが、
 
 
こうなってくると、恥をかいただけじゃなくて、
むしろ有害な言説をまき散らしたという、悪事に荷担したと言えるわけです。
 
 
初めにも書きましたとおり、私は、スピリチュアルなもの、精神的なものが全てケシカランと言っているわけではありません。
 
ただ、先人の努力の結晶である、科学の知見をないがしろにして、エセ科学の言説を広めることには、害があると言っているのです。
 
 
情報発信者として、このような、言説の真贋を見抜く目はしっかり持っていたいと思います。悪意がなくても、有害な言説を流布するという問題行為に、知らず知らずに荷担してしまうことがあり得るわけですから。
 
 
これが、私が「科学的でない」スピリチュアルの主張と距離を置く理由です。
 
※あ、ちなみに、科学的に見せかけようとしているものほど怪しいので、ご注意を。