セックスを取引材料にしてはいけない、とは言うものの

セックスと恋愛の経済学 マリナ・アドシェイド著 の書評。心理学の本には、セックスを異性の気を惹くための取引材料にしてはいけない、と書いてあります。私も異論はありません…小説家やフロイト派の心理学者は、女性の方…エロだとか、色々なことを言いそうですが、経済学者は…あくまで、セックスを「取引材料」と見ます。

心理学の本には、セックスを異性の気を惹くための取引材料にしてはいけない、と書いてあります。理想はそうなんでしょう。私もそこに異論はありません。
 
ですが、最近の出会いの場は、そんな悠長なことを言っていられないのかもしれない、と思わせられる本に出会いました。
 
結婚のための出会いが、自分にとって有利な相手を、互いに選び合い、同性同士では競争し合い、カップルができていくという、自由競争の市場、というように捉えてみると、道徳より何より、競争の質によって、どんなインセンティブ(傾向・動機)が働くか、見えてきます。
 
こんな本を見つけました。
 
セックスと恋愛の経済学: 超名門ブリティッシュ・コロンビア大学講師の人気授業
 
上記の本によると、たとえば、
男子学生の方が、複数のパートナーを持ったり、一夜限りの相手とセックスすることへの抵抗は少ないことが、分かっています。
女子学生の方が、ひとりのパートナーとの関係を大事にしたい傾向があることも分かっています。
 
では、男子学生が多い大学と、女子学生が多い大学と、どっちの方が、性規範が乱れやすいでしょうか?という問いが、上記の本の中で投げかけられています。
 
 
直感的には、男子が多い方が乱れやすそうですが、性体験を持ったことのある率や、決まった恋人じゃない人と関係を持ったことのある率を調べて統計を取ると、
 
女子学生の多い大学の方が、性規範が乱れやすいのだそうです。
 
 
小説家やフロイト派の心理学者は、ここで女性の方が内面的にはエロだとか、色々なことを言いそうですが、経済学者はそういう事を言わず、あくまで、セックスを「取引材料」と見ます。
 
つまり、男子が少ないということは、将来の伴侶を探している女子にとって、候補が少ないことを意味します。そしてそのことは、単に一対一でカップルができたときにあぶれる女子が出るということだけを意味するわけではなく、それ以上の意味を持つ。
 
男子からセックスを求められたときに、待ってもらっている間に、その、将来出世するかもしれない高学歴の男子が、すぐセックスさせてくれる女子の方に行ってしまっては、一生の損。ということで、男性の要望が通りやすい雰囲気が醸成される、というわけです。
 
 
まあそこまで、普通は意識してはいないわけですが、行動からすると、女子は自分が望まない、不適切であると思うレベルまで、性的な関係を受け入れている(調査結果)、ということから、上記のように結論づけていました。
 
 
あるグループでの、男女の人数比のような、単純な要因が、
性規範の乱れに影響する、という話。
 
 
思えば、結婚相手がが親の紹介によるお見合いなど、本人の自由恋愛に依らない理由で決まっていた時代から、本人の自由恋愛によって相手を見つけるという時代に変わったことで、
 
自由になったというプラス面も、もちろんありますが、
そういう自由競争の環境の中で、相手にうまいこと取引材料を提供できる人が自分の望みの伴侶を得る、という、道徳的に言うと問題がありそうな、そしてとにかく、苛烈で残酷な面も生まれている、ということは考慮しておく必要がありそうです。
 
 
まじめで性的にはおくてな女子より、
性的に活発で(もちろん「この人」と定めた相手と、という意味ですが)どんどんセックスをする女子の方が、伴侶を得やすい、という側面が、確かにあるのだろうと思いました。
 
もちろん、性的に乱れていると「見られる」ことは結婚にはマイナスに働きますから、だれでも彼でも関係を持てばよい、という話では、もちろんありません。
 
 
この話の結論ですが、
自由恋愛によってパートナーを決めるという仕組み。
 
ある程度の合理性と意義はありますが、
プラスの側面ばかりではないようです。
マイナス面や、マイナス面が出やすい状況(男女比が偏った場所など)について、よく理解して、納得のいくパートナー選びをしたいものですね。
 
色々考えさせられる本でした。
セックスと恋愛の経済学: 超名門ブリティッシュ・コロンビア大学講師の人気授業