なんでこの人はこうなの!と思った時に考えてみたいこと

ちょっとしたことで激昂して、罵倒してくる。
こちらの気持ちを全く汲んでくれない。
自分の非を認められず、常に悪いのは他人、という発想をする。
こちらから見ると「どうでもいい」ことに激しくこだわる。
最近伝えたはずの大事なことを、すぐに忘れる。
ちゃんと合意したはずなのに、いつの間にか都合の良い内容にすり替わっている。
平気でウソをつく(ように見える)。
出来もしない約束をする。

さて、人の悩みの大半は結局、人間関係の悩みです。
そして、自分自身についての悩みもあるでしょうが、多くの場合、目の前の相手がいて、その人からストレスを受けることが、悩みの直接のきっかけになっていることがほとんどだと思います。
(逆に言えば、いい人に囲まれているときは、あまり悩まないものですよね)

ここで、この記事が「扱わない」話について先に定義しておきます。
「他人は自分の鏡なので、全ては自分の問題。」これが、この記事では扱わない話です。
勘違いしてほしくないのは、自分の問題と向き合うことの大切さを否定しているわけではない、ということです。単にこの記事ではそのテーマは扱わない、という話です。
言い換えると、自分の課題については解決済みの人を対象として記事を書いています、ということでもあります。まだ、自分自身の問題が解決していない方は、たぶん、この記事の内容を真っ直ぐに受け取れないと思います。(その場合は、自分自身の課題についての記事から読んで下さい)

では、前提をお伝えしたところで本題に入っていきたいと思います。

相手が「なんでそうなの!?」という行動をする人だと感じたときに、ぜひ一度やって頂きたいことがあります。それは、「その人は、全て合理的に行動している」とまず見なすことです。
「私に意地悪をしている」「私を否定しているの?」「私は嫌われている?」「この人はひねくれている」そんな解釈をする前に、一旦、相手は合理的に行動しているのだ、と見なしてみてほしいのです。

ところで、「合理的」とは何か?
それを、これから書いていきたいと思います。

私は、人間をこんな風なモデルで捉えています。

【意識】    まず、真ん中に意識があります。
【パイロット】 ちょうど、パイロットがいるようなものです。

【【意識】感情・価値観】 その外側に、感情や価値観があります。
【【パイロット】計器類】 ちょうど、パイロットの周りに計器類があるように。

【【【意識】感情・価値観】外界】 その外側に、外界があります。
【【【パイロット】計器類】外界】 コックピットでも、同じですね。

では、少し具体例を入れて考えてみましょう。
たとえばあなたが、相手に「今日は機嫌良いね」と言ったとしますね。
「なんだと?いつも機嫌悪いみたいな言い方だな。」と返してきました。

まあ、この時点で十分面倒くさい人ですが、それは一旦置いておいて、相手のことを理解してみましょう。先ほどの枠組みに沿って、考えてみましょう。

「今日は機嫌良いね」 これは、外界の出来事ですね。

もし、あなたなら、そう言われたら、どう感じますかね?
「あら、機嫌良いって言われた。自分は、良い笑顔をしていたのかな?よかった。」そんな風に解釈するかもしれません。
そして、ちょっぴり嬉しいという「感情」を感じるかもしれません。

でも、ひねくれた反応を返して来るその人は、違う解釈をしているようですね。
「否定された」という解釈のスイッチが入りやすいのでしょうね。

計器類に例えるなら、きっと「否定されたぞアラーム」がすぐに鳴り響く設定になっているわけですね。

外界:「今日は機嫌良いね」という言葉(出来事)
感情・価値観:「イヤミを言われた、否定された」という解釈(きっとその背後には、「人は自分を否定するはずだ」という解釈のクセがありそうですね)
→そして、怒りのスイッチが入る、という感情。

さて、本当の本題はここからです。
考えてみて下さい。上のたとえに出した、「意識」はまだ登場していません。どこにいるのでしょうか。

正解は、「外界の出来事、そして感情・価値観の層で起きていることの全てを、真ん中にいて観察している」です。

ちょっと想像してみましょう。

外界から、「今日は機嫌良いね」という言葉がやってきて、
コクピットの計器類的に、価値観・感情の層で、「イヤミを言われた、否定された」→怒りが湧いてくる、という反応が生じる。
・・・→そういう席に、いつも座って世界を見ている【意識】

・・・なんだか、疲れそうですね。

一方で、あなたのコクピットは、こうかもしれません。
外界から、「今日は機嫌良いね」という言葉がやってきて、
コクピットの計器類的に、価値観・感情の層で、「いやー、褒められちゃった♪」→嬉しくなる、という反応が生じる。
・・・→そういう席に、いつも座って世界を見ている【意識】

私たちは、他人のコックピットには、座ってみることは出来ませんから(=他人の脳内に入り込むことは出来ない)、他人の解釈のクセや感情の強さを体験することは出来ません。

でも、想像してみることは出来ると思うのです。
その際に、とても大事な考え方があります。

あの、困った人も、中心に座っている【意識】は合理的である。
そう、仮定してみよう、これが大事な考え方、大事な仮定です。

意識は合理的であるにもかかわらず、あんな、ひねくれた反応をする。
では、その人のコックピットには、どんな計器類(価値観・感情)がついているのか?そう仮定して、推測してみようということです。
別の言葉で言うと、ひねくれた反応を「わざと」やっているという解釈をやめよう、ということでもあります。

極端な反応をする人、ズレていて困った人の計器類はどうなっているのか。
実は分類すると、大きくふたつしかありません。

(1)感度が低すぎる
(2)感度が高すぎる

以上。

沸点が低くて、すぐに反応して怒り出す人は、おそらく「否定された」計器が働く感度が高すぎるんですね、きっと。
こちらの気持ちを全然くみ取ってくれないあの人は、おそらく「他人の気持ちに共感する」計器が働いていない(=感度が低すぎる)のでしょう。

この記事で提案しているのは、相手の性格がどうとか、そういう話をする前に、相手の意識は合理的だけれど、あなたのコックピットとは、計器類の感度設定が全然違うコックピットに座っていると想像してみよう、ということなのです。

そして、もう一つ大事なことがあります。
あなたのコックピットの計器類の感度設定も、決して標準ではないということです。おそらく、平均より感度の高い計器もあれば、感度の低い計器もあるに違いありません。全体に感度高めの人もいるし、全体に感度低めの人もいます。そしてそもそも、一人一人、でこぼこしているものなのです。

最後に。

他人のことは、こうやって勝手に想像したり解釈したりしやすいものですが、では自分はどんな計器類のついたコックピットにいるのか、と考えてみると、結構難しいものですよね。なぜなら、そのコックピットから出ることは、生きている限り不可能ですからね。

そういう意味では、面倒くさい姿を見せてくれているその相手は、人間のことを学ぶための貴重な生きた実験台なのだと思います。極端な事例はある意味問題が際だって理解しやすいので、折角の機会に勉強しましょ。

それではまた!

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