原発=シロアリの喰ったマイホーム、と考えてみる。

 

昨今の「原発か自然エネルギーか」問題の本質は何かと考えていて、
 
ある例え話しを思いついたので、書きたいと思います。
 
 
原発容認派の議論はこうです。
原発をやめると電気代が高くなる。
 
これはどうやら、実際本当のようです。
 
一方で、原発反対派の議論はこうです。
原発には見えないコストやリスクがあって、
本当は高いものについているんじゃないか。
 
事故の危険性や放射性廃棄物のことなど、
諸々考えると、それも正しそうなんですね。
 
 
それで、これはどう考えたらいいんだろうと、
いろいろ思いを巡らせていたら、以下のたとえ話を思いつきました。
 
 
借金してマイホームを建てました。しかし、そのマイホームは徐々に猛毒のシロアリに侵されて(架空の生物ですが)、40年で使えなくなります。しかも、そのあと廃材の処理に大金が必要になるんです。
 
といったケースと似ているのではないかと思いました。
 
シロアリならさっさと駆除しろよ、と言いたいところですが、放射性廃棄物の例えですから住んでいれば(発電すれば)、必ず発生して、それは避けられないものとしてください。
 
また、地震が来て家が崩れたら、シロアリの毒が周囲にまき散らされる可能性があって、まあ、崩れないかもしれないけれど、崩れる可能性もある、という不確定要素がある、とします。
 
 
 
それで、原発をいますぐやめろ、という議論は、
・既に建ててしまった家を空き家(原発停止)にして、
・別のアパートを借りて家賃(燃料費)を払って生活。
という話に似ているな、と。
 
ローンを払いながら(実際東電は借入金を返している)、一方で家賃も払って(天然ガスを買う、新規のガスタービンを建設するなど)、生活したら、苦しくなるに決まってるわけです。
 
 
原発建設時には夢のエネルギーと思われていたかもしれなくて(それは高速増殖炉が頓挫して、ウラン235しか活用していない現状では、実はそれほど夢のエネルギーじゃないことも判明しているのですが)、
 
確かに、「ローンを組んでマンションを買うと月々の支払いがいまの家賃より安くなりますよ(そのかわり35年払いだけど)」みたいな、「今は安いよ」という話に乗って原発を建ててしまったわけなので、
 
よくよく冷静になってみると、今後の原発の新規建設は、もうやらない、でいいと思うんですね。
 
 
しかし、たとえば太陽電池というのはシリコンウエハーを作るところですごいエネルギーが必要になっていて、とりあえず、今年一基作ると、数年分はエネルギーがマイナスになるんですね。年々技術が進んできていて、昔は10年分のエネルギーを投入してようやく作っていたものが、いま3?4年になってきていますし、もうちょっと短いのもあります。(但し一番エネルギーの回収が早そうな太陽電池はシリコンじゃなくてヒ素を使うので、ヒ素=猛毒という精神的アレルギー反応がある日本では使うのが難しそうですが)
 
 
だから、原発を停止してしまって、生活のためのエネルギーでカツカツになってしまうと、太陽電池などに回す「投資としてのエネルギー」がなくなっちゃうんですね。
 
 
それで、既に建ててしまったが、建ててしまって若干後悔しているマイホームをどう扱うか、その善後策を考える、というたとえ話に戻すと、
 
・損失確定で、空き家にする(原発停止)のか、
・リスクを引き受けて、耐用年数までは何とか使うのか。
 
そういう選択をする必要があるのだと思います。
 
原発を空き家にすると、別の家賃(天然ガスで発電するコストなど)が発生しますし、節電で対応となれば、太陽電池や風力発電の設備を作るためのエネルギーの捻出が苦しくなります。
 
結局どこかで非効率のつけが国民に回ります。電気代か税金で。しかも復興というプラスの目的ではなく、シロアリマイホーム(原発)を耐用年数まで使い切らずに廃棄するという、後ろ向きの費用として。
 
放射性廃棄物の処理の問題は大問題ではあるのですが、
現状の発電のコストを考えると、原発のコストのほとんどは建設時に発生しています。きわめて高度で複雑な設備を作っていますから、作って捨てちゃうと、それは即、国民負担、となるわけです。
 
マイホームを建てたけれど、そこは空き家にして、
別の賃貸アパートに住む、みたいな、住居費の二重払い状態です。
 
 
非常に巨額の無駄が発生しますので、
自分だけ逃れるということは不可能だと思います。
 
東電の社員の給料カットとか、資産の売却とか、そういうレベルで対応できる話じゃないわけです(そういう努力は必要だと思いますが)。
 
原発一基あたり、東京電力の年間の営業利益(近年は黒字と赤字を繰り返しているようですが、その中でも黒字の年を見たとして)と桁では同じぐらいの建設費がかかるわけです。
 
原発を10基止めたら、それこそ年間の売上高と同等の資産をポイっとすることに等しいんですね。
 
 
大事なことは、感情的な極論に走るのではなく、何で自分だけ損しなきゃいけないんだ、的な嫉妬心に基づいた判断をするのでもなく、
 
こうした背景をよくよく考えて、全体最適化を図ること。
そして、既に確定してしまった損失もあるので、「覆水盆に返らず」の諺の意味を良くかみしめて、確定してしまった損失についてはみんなで被るし、そうした損失を全体として、できるだけ少なくする努力をすることだと思います。
 
 
原発を空き家にするなら、
国民負担はさらに増えるが、それを甘受する。
 
原発を稼働させるなら、
国民負担の金額的な増加は、目先、比較的増えないが、
将来に廃棄物の問題や、万が一事故が起きたときのリスクがある。
 
 
原発の危険性は命の問題だという人もいますが、
実は、経済的に圧迫されることは自殺や離婚につながることもあり、
効き方はじわりとしていますが、経済問題もまた、命の問題です。
(自殺問題に詳しいNPO ライフリンクの研究によれば、失業→生活苦→うつ→自殺、という流れは本当に多いとのこと。単純に比較はできませんが、幸いまだ死者が出ていない原発事故と比べ、年間3万人超が自殺しているわけですから、こちらの問題の方が実は既に顕在化している待ったなしの大問題なのです)
 
その両者をよくよく考えて、マイナス面も引き受ける覚悟で決断することが、大事なのだと思います。
 
 
 
最後に個人的見解を述べると、
やはり長期的には日本は自然エネルギーにシフトして頑張る形がよいと考えています。
但し、自然エネルギーというのは、それを利用するための設備の建設に、年間発電量の数倍のエネルギーが必要で、要するに「エネルギーの投資」が必要になるため、
 
稼働できる原発は稼働させて、エネルギーの余力を作り出して、
その間に、必死で節電し、必死で自然エネルギー利用の推進をして、
 
エネルギーの構造改革をする必要があると思います。
 
 
従って、単純な「原発賛成」「原発反対」の議論ではなく「将来の脱原発のために、いまは原発を使う」「可及的速やかに、自然エネルギーの利用を促進する」という道を模索したい(というか、自分でやるわけではないので、そのような道を推進する人を応援したい)と考えています。