浮気調査を依頼する前に

 

 夫の不倫疑惑。妻に隠れて浮気を続けていたかもしれない・・・疑心暗鬼。
 そんな不安な心境の時、事実を知ろうと浮気調査を探偵に依頼するかもしれません。でも、心理セラピストの立場からは、ちょっと待ったと言いたいのです。確かに離婚をして慰謝料を・・・という話なら確固たる証拠が必要です。証拠をしっかり固めて、訴訟になっても必ず勝てる。自分を守るためにも、闘う必要があるかもしれません。
 でも、あなたが望んでいる結果は、調査・証拠固め、交渉あるいは訴訟、そして離婚・慰謝料請求という流れなのでしょうか? 法律では人の心は縛れないのです。法律でできることは、相手にお金を払わせることだけです。これは、心の中では何を考えても自由という法律上の原則がありますから、仕方のないことです。相手に「申し訳ない」と思うことを強要することや、罪の意識を持って残りの人生を生きるように強制することはできないのです。
 法的な弁済方法は、慰謝料という形でお金を払うことのみです。交渉をする段階で「謝罪文」を求めることもあるかもしれませんが、心がこもっていることを強要することは、相手の心の中をあなたの望み通りに変えようとすることであり、決してやってはならないことなのです。
 
 それに対して、心理学・カウンセリングの世界は、ずいぶん違います。
 相手が何をしようと、今感じている怒りや不安などの感情は自分のものであると考えます。自分の感情は自分で責任を持つという原則です。「ひどい目にあったのに、この怒りが自分の責任だとは何事だ!」という気持ちになるかもしれません。確かにそう感じることもあると思います。
 それでもあえて、感情は自分のものであるという原則を再度強調しておきたいと思います。
 実は、相手に対して怒っているほとんどの場合が、「私は正しいよね?」「私は悪くないよね?」ということの確認をしたいのです。夫の浮気をきっかけに夫婦関係が壊れて「私はちゃんと頑張っていたよね?」「私は正しいよね?」ということを確認したいのです。
 カウンセリングでは、セラピストがそれをしていきます。話を否定せずに聞くことで「あなたは正しいんですよ。」「あなたは一生懸命頑張ってきましたね。」ということをカウンセラーが認めていきます。すると、相談者の方も自分で「あぁ、私はこれでいいんだ。正しいんだ。」「苦しかったけれど、その感覚は正しかったんだ。自分は頑張っていたんだ。」というように、自分を認めることができるようになっていきます。
 そうなったときには既に、相手が間違っていることを証明する必要はないんですね。
 
 法律の世界はどちらがより正しいか、決着をつける世界。
 心理の世界はどちらも精一杯生きていて、どちらも正しいということを理解するための世界。
 
 法律が不要だとか、心理の世界の方が高尚だとか、そんなことを言うつもりは全くありません。被害を受けたら、きちんと慰謝料を請求して良いと思いますし、そういう社会のルールなしでは無法地帯、勝手なことをやったもん勝ちの世界になってしまいます。法律は必要なんです。
 
 でも、心理・カウンセリング側にいるものとして、一言私の考えを言わせていただくと、正義というのは苦いものだということです。浮気をする人、暴力をふるう人。離婚理由になる行動をする人は、どこか苦しい心を抱えてその行動に出るのだと思います。その人に対して、慰謝料の請求をして正義を執行する。
 これは、社会で決められたルールですから、堂々とやっていいことです。但し、その時に、苦しい心を抱えて間違ったことをしてしまった相手を「いっぱいいっぱいだったんだな・・・」と理解しようとする気持ちがあると、被害を受けた側も、怒りを一生抱えたままにならず、気持ちが楽になるのではないでしょうか。
 いっぱいいっぱいだから間違えたことをしてしまった相手から慰謝料を取る。これが正義の執行だと思います。ルールですから、堂々とやって良いのです。なんだか少し可哀想な感じがしますね。これが、私が「正義は苦いもの」と考える理由です。でも、その感覚が大事だと、強く主張しておきます。なぜなら、相手を心の中で極悪人に仕立て上げ、憎んで慰謝料を取って別れたら、そのあとに怒りと罪悪感の固まりが心から離れずに苦しむのは、憎んだ側です。自分自身です。そして別れた相手はもう目の前にいないのです。怒りをぶつける対象も、抱えた罪悪感を解消するために謝る対象もなく、一人で悶々と苦しまなくてはなりません。
 
 受けた被害は、冷静に、淡々と慰謝料請求をすればよろしい。そしてその際に必要なら浮気調査をしっかりすればよいのです。でも、憎んで慰謝料をぶんどったら、苦しむのは自分自身だと言うことをお忘れなく。自分が楽になるためには、相手を理解し、心の中で許すことが必要なのです。
 
 紛らわしいので、法律的な「許す」と心理学的な「許す」は違うのだと言うことを書いておきます。
 ※法律的に許す=慰謝料請求しない。相手の責任を問わないという意味。
 ※心理学的に許す=慰謝料請求するかしないかは関係ない(!) 心の中で憎むことをやめるという意味。
 だから、心理学的には許して、憎む気持ちを手放して楽になるけれど、法律的には正義を執行して慰謝料を取るということもあり得るわけです。