愛と依存心と罪悪感

 

「彼のことが好きなんです」
 
 恋愛セラピーの現場では、何度も聞いた言葉です。しかしこの、「好き」という言葉、人によって全く違う意味なのです。ここに気づかないと、恋愛のアドバイスも読み違えてしまいます。
 
 ひとつ目は「愛」。
 ここでは狭い意味に捉えています。
 「相手の幸せを願う心」「相手のために与えたいと思う心」です。
 
 ふたつ目は「依存心」。
 もし、「好き」が「愛100%」であれば、彼が別の女性を好きになったら、それを心から応援してあげられるはずですが、そうならないのが人間です。
 「私のそばにいて欲しい」「私の気持ちを分かって欲しい」「触れて欲しい」「優しい言葉をかけて欲しい」「セックスが欲しい」こういった、自分の欲求を満たしてほしいと思う心が「依存心」です。
 欲求があるからこそ満たされたときの幸せもあるのですから、依存心が悪いということではありません。但し、あまり依存心ばかり強くなってしまうと、相手から「重い」と思われてしまいます。
 
 みっつ目は「罪悪感」。
 相手のことが「好き」と思っている気持ちの中に、「同情」「かわいそう」「放っておけない」「悪い人になりたくない(から別れられない)」「助けたい」という気持ちが混ざっていることがあります。私は「罪悪感」という言葉を少し広く使っていて、これらの「助けたい」気持ちを「罪悪感」と呼んでいます。
 相手に与えるという意味では「愛」とも似ていますが、あくまで基準が「自分の償い」にある点が愛とは違います。何かしてあげなければいけないという強迫観念があるのです。愛から助けたいのであれば、相手が「不要だ」と言ったときは、喜んで見守れるはずなのです。
 
 私が思う、長続きするカップルの理想の「好き」の割合は、
 愛75%、依存心20%、罪悪感5%ぐらいだと思っています。
 愛100%を目指さないことが大事です。あくまでバランスの問題です。
 
 
参考記事:
  罪悪感=無邪気な愛+過酷な状況
  愛75% 依存心20% 罪悪感5%
  ゆるしのワークの概念と手順


 

「愛と依存心と罪悪感」への1件のフィードバック

  1.  このコラムを読んで、思うところがありコメントを記します。
     私は男性です。
     このコラムを読んで感じたのですが、私には先生がおっしゃられる「罪悪感」という部分でお付き合いを開始してしまう癖があるようなのです。
     期間的には長く付き合うのですが、必ず最後はうまくいきません(短くても3年間とか)。
     自分自身としては好きになってお付き合いしているつもりでいるのですが、最後に結婚することは無く、自分が尻込みしてしまうばかりです。
     私は実際にはどういう心理でお付き合いしてしまっているのでしょうか?
     このコラムを読んで意自分自身何度も同じ轍を踏んでいるのが「罪悪感」に囚われていると言われ、自分がそう感じたのは初めてでした。
    先生が言う罪悪感というのは昔、私が何かしたことに対しての忘れている記憶と関係があってしていることなのでしょうか?
     今は自分はいち早くこの状況を抜け出したいと思いコメントを書きました。

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